(フローランテ南にある記念碑。宮崎の財産なのだが語る人はいない、、。)
ワールドカップ。熱き男たちの戦い。凄かったですね!
「最後の最後まで諦めてはいけない」こと、教えてくれましたね!
2002ワールドカップ日韓大会。
もう20年前のことだが、Ifには忘れられない思い出がある。
「ドイツとスウェーデンのキャンプ受け入れ」。特にドイツは決勝まで勝ち進み、1か月以上も宮崎(元シーサイドホテル)がサポートした。
ブラジルとの決勝戦のチケット。
「キャンプのお礼に招待しますと2枚]。ドイツサッカー協会から届いたのである。
キャンプは実行委員会でサポートしていた。会長はM知事、私は事務局長。
知事が当然行かれるものと秘書課に相談したところ、「議会で行けないので事務局で対応してもらいたい」との返事。
そうであれば「1枚は私。もう1枚、さて誰を連れていこうか?」悩んでいた時のこと。
県庁は法律、規則で動く組織。
「原理原則を貫く公務員の鏡のような職員」がほとんど、Ifのような”アウトロー”はごく少数。
ある職員。「局長。決勝戦当日は議会常任委員会があります。議会を優先してください。」と直言。
「そら分かっちょるけど、、。議会事務局に俺の欠席届を提出し、議会は部長と貴方で対応してくれれば問題ないと思うよ。ひょっとしたら大統領も来られるかもしれん。俺は決勝戦を見たくて行くんじゃない。ドイツサッカー協会幹部にキャンプのお礼が言いたい。折角の招待、そっちが大事だと思うけど、、。」
建前論で説得したが応じず、「SNAなど他の案件も抱えていた私、万が一それらの問題で議会が紛糾となったらいけない」と思い、しぶしぶ断念。
結局、宮崎市から実行委員会に派遣された二人に廻すと、飛び上がって喜んでいた。
二人から「興奮冷めやらぬ報告」があった。
「局長。チケットは貴賓席でした。直ぐ後ろにマラドーナ、三列後ろに大統領。ビックリしました。終わると、パーティーにも招待され、大盛り上がり。宮崎への感謝の言葉も沢山もらいました。お陰で貴重な経験ができ、ありがとうございました。」と満面の笑み。
「それは良かった。俺も行きたかったー!」笑って応えたが、心では泣いていた、、。(>_<)
一生一度の大チャンス。逃してしまった、、!
その替わりではないが、「翌2003年、宮崎のサッカー少年20人がドイツに招待された時、同行は許された」けどね、、。(*^^*)
写真は第二次世界大戦の爆撃で尖塔が破壊された教会。世界遺産。東ドイツの古都ドレスデン。エルベ川の氾濫でサッカー場も水没。その修復に宮崎の見舞金が使われた。
【来年度予算114兆円、過去最高。大半が借金?】
借金するのであれば、返済の見通しを国民に示すのが当たり前ですが、、?
この国。敵から攻撃される前に破綻してしまいます!
【政治家のご乱行。後を絶ちませんね!ひどすぎますね!】
電車内での懸垂はカワイイもの。
4000万もの政治資金。報告書不記載の罪を秘書に被せたものの、隠しきれず、辞任に追い込まれた国会議員。
妻を殺していながら平然と振る舞う県会議員。
条例を破り、タバコをポイ捨て。「記憶にない」とシラをきったが、逃げ切れず認めた市長。
こういう人を選んだのは国民、県民、市民です。
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