(「つながる」一つのヒント。この人たち。何を求めて、田んぼや畑に集まり、「つながる」のでしょうか?)
清山市長、幹部職員にされた挨拶。口調は静かでしたが、思いがこもってましたね!
さて、前にも触れた宮日報道。清山市長当選の翌日。お祝いの胡蝶蘭、事務所に続々届いたとか。
前市長と「つながっていた」人たち。一夜にして寝返り。新市長との「つながり(=威光)」を求め、贈られたモノ。
「宮崎、いや、日本をダメにする古い政治体質、、。」
「これは”つなぐ”ではなく、”おもねる”。癒着を生み、”シガラミ”となり、変革の邪魔をする。困ったものだ、、!」
私の言う「つなぐ」、「つなぎ役」とは、これらとは、真逆。
「つなぐ」とは「信頼する人に、心を託す」こと。
「つながる」とは、「いかなる困難があろうとも、運命を共にする覚悟がある」こと。
一夜にして切れる、そんな、やわなモノではない。
「つなぎ役」とは、市長の心を市民につなぎ、市民の心を市長につなぐ人。
つまり、「市長の心」と「市民の心」、「つなぎ役の心」がつながらなければ、宮崎は変わらない。
「その心」とは、「自分のことは後回しにしてでも、住みよい宮崎、人にやさしい宮崎を願う”真心”」。
「それらの真心」が集まれば「人脈」となり、「シガラミを打ち破り、変革の大きな力」となる。
「人の心」。ウイルスと同じく、見えない、、。
「人と人をつなぐ」、「人と人がつながる」こと。口で言うのは簡単だが、非常に困難なこと。
「さて、どうすれば、「人と人がつながり」、「宮崎が変わる」のでしょうか?
(明日につなぐ)
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