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あの頃、宮崎は燃えていた!

M県政。昭和54年~平成15年、6期24年。

何でも挑戦・みんなが参加の新ひむかづくり運動、空港・港の同時整備、宮崎大学移転、跡地に図書館、美術館、芸術劇場、五ヶ瀬中高一貫校など、”県政の礎”」を築かれた。

県民の記憶から消えただろうが、「最大の功績は警察との緊密な連携の下に進めた同和行政の正常化」であった。

県勢浮揚には不可欠と推進したシーガイヤとSNA。任期を終える直前に「すさまじい逆風が吹き荒れ、宮崎存亡の危機と苦しめられたのは、”為政者の宿命”」だったのであろう、、。

退任され、20年、、。

宮崎の空気がガラリ変わった。

1昨日。「”ツワモノ”が集まるから、来ないか。」

私ごときに声が掛かり、恐れながら加わった。

岩手の大吟醸を酌み交わし、「数々の秘話」で、労をねぎらい、盛り上がった。

厳しい局面。職員は一丸となり立ち向かった。

例え知事でも「ダメなモノはダメと言えた」。

当時は「緊張の中でも”風通し”」が良かった。

「職員のやる気を起こす」。

民間企業や団体、多くの県民も「意気に感じて、”運命”を共にした。」

「それらが県勢発展の原動力。」

最悪の事態を乗り越えられたのは、「それら」を引き出した「M知事の人間力」。

ツワモノたちは「そう総括」し、”熱き宴”は終わった。

「変な企ては何も無かった」から、心配ご無用! ( ^)o(^ )

【兵庫県、知事不信任案】

解決の道はいくつもあった筈だ。

知事と取り巻きの”甘い判断=危機意識の欠落”?。

コンゲなったら、県民、職員は不幸な事だ、、!

【今日、大根の種まき。やきもきした天気、なんとかやれそうだ。】

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