「宮仕え。命じられたら、せん訳にはいかん。が、、。」
リゾートブームに乗り、「低迷する宮崎観光再生の救世主」を目論んだシーガイヤ。
開発か自然保護か? 過大投資? 何でオーッシャンドーム? 県民の賛否は渦巻いた。
運命のイタズラ? 全面開業した平成6年(1994年)にはバブル崩壊、景気低迷、来客は伸び悩み、赤字が続き、平成13年(2001年)僅か7年で経営破綻に追い込まれた。
その再建支援が県政の最重要課題となった。
当時私は教育委員会(総務課→スポーツマスターズ事務局)。「シーガイヤ再生(後始末)に関わりたくて、ウズウズしていた」が外野から傍観するしかなかった。
その9月末。第1階スポーツマスターズ大会(この後始末談は後日)が何とか終了。残務整理(後片付け)に追われていた時、教育長に呼ばれた。
「まさか!商工次長(観光労働担当)への異動内示」。願いが現実となり、仰天。後片付けも出来ずに異動。
それからが大変!誰もやったことがない仕事。民事再生法により引き継いだR社との調整・支援。負債整理で殺気立つ地元金融機関との協議、R社との交渉の橋渡し等など。いずれもトップシークレット。マスコミの目をかいくぐって、東奔西走、、。
おまけに「リゾート基金返還の住民訴訟」も重なった。
そんなスッタモンダの真っただ中「Wカップ」が飛び込んで来た。
「ワー! 俺を殺す気!」
我が家の心配事に関わる余裕などなく、崩壊寸前、、。(>_<)
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