納戸に放り込み黴臭くなった新聞や資料を引っ張り出し読み返した。
23年前の苦闘と感動が鮮明に蘇ってきた。
Wカップサッカー大会は、オリンピックを凌ぐ世界最大のスポーツイベント。
ズブの素人集団が世界のツワモノに体当たりで挑んだ。落胆➡歓喜➡苦悶➡喝采。ダイナミックにスリリングにエキサイティングに激しく揺れ動いた2001年2002年、、。
これらが宮崎で起こったこと。私、Mさんが関われた事。”奇跡”としか言いようがない!
1998年、「2002年大会は日韓共催」が決まると、宮崎を含め各県は激しいキャンプ誘致競争を繰り広げた。
宮崎は不運が重なった。宮崎キャンプに関心を示していたオランダが、まさかのヨーロッパ予選で敗退。
続いて予選組み合わせ抽選会。宮崎キャンプが有力視されたデンマークとポルトガルが韓国での予選となり、絶望。再度、日本で予選がある各国にアタック。巻き返しを図った。
スウェーデンが即反応。県運動公園とパームビーチを視察。内定。県関係者が安堵したのは言うまでもない。。
そこに、マサカが起こった。
ドイツは2006年Wカップ開催国。並々ならぬ決意でキャンプ地を選んでいたようだ。
「ドイツは四国のある市で内定」の報道。誘致ターゲットから除外していた。
ある日、職員が血相を変えて私の部屋(商工次長室)に飛び込んで来た。
「ドイツサッカー協会から”シーガイヤは空いているのか?と電話があり、”はい”と答えると、明日極秘で、競技場(シーガイヤ)を視察したい。」とのことです。
「ギョギョギョ! もしかして?」
マスコミに絶対気づかれないよう、協会幹部数人をシーガイヤ近くのグラウンドに案内した。
「膝まづいて、芝の感触を確かめ、パーフェクト」。ほほ笑むのを見て「ドイツが来る」と確信した。
責任者のPさんが私に「会長(ベッケンバウアー)と相談して決める。それまで絶対、外には漏らさないでもらいたい。」と厳命。
夕方、何処から嗅ぎつけたのかマスコミ数社が部屋にズカズカ入って来た。
「ドイツが調査に来たそうですね。キャンプ地、宮崎に変えたんですか?」
「そんな話ではなく、参考までにと言うことでした。それ以外、何も聞いてません。」
「そんな筈はない」の応酬。険悪な空気になったが、言えないことは言えない。
ヤキモキして返事を待った。3日後「宮崎でキャンプします。後日、細かい打ち合わせに来ますのでよろしく」との電話。
大どんでん返し。
M知事、S県サッカー協会長を初め関係者は歓喜!拍手喝采!
「ドイツ宮崎へ。スウェーデンとの2か国誘致成功。」テレビ、新聞で大きく報道。
宮崎の名が世界中に轟いた。
が、私は「超大物を釣り上げておきながら、最後の最後で宮崎に奪われた四国の方々の悔しさ」が痛いほど分かった。複雑で素直に喜べなかった事。今でも心に残っている、、。
さて、明日は?
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