「県庁は組織で仕事をする」。
入庁後の新規職員研修で、人事課長が「いの一番に訓示される」県庁職員の心得。
大学4年間、楕円球を追いかけた青春。まだ”純”だった。
「組織で仕事をする」とは「職員の英知を結集して、県勢発展・県民福祉の向上に取り組むこと」と肝に銘じた。
ところが2年、3年経つ内に、県庁の仕組みや仕事の流れも少し分かり、上司や先輩方の考え方や取り組む姿勢に違和感(➡県の目指す方向と仕事の成果とのズレ・ギャップ)が芽生え始めた。
それを決定づけるショックな出来事があった。
一つ。最初の職場、入庁して数か月の頃。残業して急ぎの書類を仕上げ、隣席の先輩に決裁したら、係長へ廻して欲しいと依頼し、出張。夕方帰り、課長席の決裁済箱を探すがない。係長に「書類、見られましたか?」と尋ねると「うんにゃ。見ちょらんど」の返事。もしや?と隣席の山積みされた書類を探すと、ハンコも押されないまま、あった。
さすがに頭にきて、先輩に文句を言うと「新人の分際で生意気言うな」と逆切れ。係長がなだめ、大事には至らなかったが、、。県庁への信頼が崩れ落ちた。
二つ。最初の異動は西臼杵支庁(高千穂)、歓迎会の席。先輩が「Hさんは上級職だから、3年後には宮崎(本庁)に帰れるからいいですね」と小声で。「?」何を言われているのか分からないまま、黙って聴いていた。
主旨は「自分は都城で勤務し、次は宮崎と思ったら通り越して高鍋。今度こそと思ったら高千穂だった」と嘆かれる。「この方と3年、同じ職場で仕事せんといかんとか?」と思うと、気が滅入った。
その二つを戒めにして、「公僕を目指し、一匹狼になろう」と決めた
「正しいと思ったことは組織に挑む。せんで後悔するより、失敗してもやる方がまし」。
その信念で、尻込みする課長・次長を何とか説得した。人事・財政の厚い壁には何度も阻まれたが、穴をこじ開けたこともあった。
「失敗を恐れ、挑戦意欲のない組織」は、人材が育たない。
「陰の圧力に忖度し、是々非々の議論ができない組織」は、活力を失う。
「前例踏襲。事なかれ主義の組織」は、時代の変化に対応できず、地域間競争に勝てない。
世界中が混乱。大変な時代を迎えた。
県庁も「意識の大変革」が求められる。
さて、今、どうなっているのだろう、、?
【本日、子ども食堂in小倉。県外各地から応援団が駆けつけるそうです。イイネ!】
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