私の前に、突然舞い降りた「玄さんと中本さん」。
混沌、不穏、分断、格差が拡がる「現代社会への警鐘、それらから脱却する一筋の光」かも知れない、、。
私は県庁38年の中で9年、四つの職場で福祉に携わり、少子高齢化、青少年の健全育成、多様化する障がい者支援の難しさ、マンパワー不足、膨大する社会保障費など「福祉の在り方」には、退職後も関心を持ってきたつもりだ。
玄さん、中本さんを知り、私の福祉の概念が木っ端微塵に粉砕された。
丁度、母の施設入所問題が起こり、対応に奔走したこともあって、頭の中は「福祉とは何だろう?」のテーマが駆け巡っている。
福祉とは辞書では、「しあわせ、幸福。特に、(公的扶助による)生活を安定・充足すること」とある。
人間は誰でも「しあわせになりたいし」、「幸福を求めたい」、「しあわせになる権利がある」。
「自分が幸せになるために、日夜精進する」。これは当たり前であり、不思議でもなんでもないのだが、
「玄さんと中本さんは”他人の幸せ”のために、全身全霊を捧げる」と言われる。
具体的には、玄さん(日本駆け込み寺)は「悩みを抱えたすべての人、被害者も加害者も救う。」
中本さん(居場所)は「元受刑者、元暴力団の方々の社会復帰を支援する」という「気宇壮大な志」。
その実践には、「社会に蔓延する理不尽、元反社会勢力を拒絶する風潮など夥しい難題」が待ち受け、失敗すれば「自分の幸せが吹き飛ぶ」危険も十分ある。
それを十分覚悟の上で為される。
私は「お二人は、超人を遥かに越えた怪物。怪物が失礼であれば”神の生まれ変わり”」としか思えない。
問題は支援に要する「お金とサポート体制(ボランティアを含む)」。
玄さんは私費を投じ、支援者からの寄付金でスタッフも整い、21年間運営されておられる。
一方、中本さんはコロナでうどん屋の売り上げが激減したため、クラウドファンディングで支援要請。成立はしたが、今後も資金とスタッフの充実が必要だ。
今国会に上程される補正予算は17.3兆円とのこと。
国や県は「福祉の概念(公助)を広げ」、「玄さんや中本さんの様な崇高な取り組みを支援する特別措置」を設けるなど、支援の手を差し伸べてもらえないものだろうか?
そして、私たちも「福祉とは何だろう?」について再考し、自分で出来ること(自助)、地域で支え合うこと(共助)を話し合う時期ではないだろうか?。
【中本さん・応援団の熱意。ある事に飛び火。何でコンゲなるっちゃろ?( ^)o(^ )】
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