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初めて天草を訪れたのは、、。

初めて天草を訪れたのは、もう20年以上前だったかなー、、?

当時、我が家はアップアップだった。

同居していた母の問題行動が顕著になり、妻一人ではどうにもならない状況になっていた。

そんな窮状を姉たちに訴えると、時々交替で面倒を見てくれるようになり、「その数日の息抜き」で、何とか持ちこたえることができた。

「初めて、母を預かってもらった、その日の午後」。

矢も楯もたまらず、家を飛び出し、訪れたのが天草、、。

夕方になっていたのだろう、、。

車窓に飛び込んで来た「光る海(干潟)」、、。

展望台から見た「夕焼け」、「赤く染まった海」、「そこに浮き上がる島々」、、。

今でも、はっきり、目に焼き付いている、、。

ただ、家から離れ、妻を解放してやりたかった、、。

ただ、それだけだった、、。

結婚。長男が生まれ、間もなく同居、、。

二人だけの旅、、。思えば、新婚旅行以来、、。

「仕事が猛烈に忙しくなり、妻に母と子を押し付け、申し訳なかった、、!」

温泉に浸かり、ビールを飲み、ゆっくり夕食を頂く、、。

普通の夫婦なら、ごくごく当たり前のことだが、、。

その開放感、、。俺たちには「最高のプレゼント」だった、、。

母は30数年、99歳になるまで我が家で過ごし、102歳でこの世を去った。

戦後の混乱の中、生み、貧乏しながらも育ててくれたことには感謝しかない。

が、、。末っ子で長男に生まれた宿命、、?

If?

If?

If?

そんな過去を想うと「今ある平穏な日々が、何より有難い、、。」

「平穏な日常」。仮に、それが「幸せの一つ」であるなら、「二人の子供を授かった感動や成長の楽しい思い出はあったとは言え、俺たち二人には長くて辛い道のりだった。よく今に、辿り着いたものだ、、。」

たまに、妻を連れ出すのは「過去の膨大なツケの清算=懺悔」でもある、、。

死ぬまでに、とても、払いきることはできないが、、。

【超高齢社会最大の問題は「介護」。家族だけでは支えられない!】

政府は、子育て支援も大事だが、介護で苦しんでいる人、特にヤングケアラーの支援にも力を入れて頂きたい!

 

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