これって、サバイバルですよね!
28日、10JOYCの飲み会。
体調が良ければOさんも参加の意向。16人も集まってくれる。
この会が近づくと、いろいろな過去を思い出す、、。
私だけでなく、宮崎が大きく揺れ動いた、、。
「よく生き残り、続いた」ものだ、、!
ドラマじゃなく、ホントにあったんですからね、、。
平成15年8月、A知事誕生。このお方の登場が全てだった、、。
16年4月、宮崎県社会福祉事業団へ異動。
17年4月、エコクリーンへ異動。5月末浸出水調整池破損。緊急補強工事決断。
10月頃だったか、、?エコクリーンの一室で、せわしなく行き交うごみ収集車を見ながら考えていた事、、。
「何とか緊急補強工事も完了。大きな混乱もなく、ごみ処理が出来ている。これで、県庁とはオサラバ(早期退職)しよう。」
「辞めて、何をする、、?」具体の当ては、なかったが「地域おこし?仲間たちと、何かやってみたい、、。」
それが「10JOYCの原点」だった。
その一方「エコクリーンの抜本的な修復工事」が気に掛かり「結局、早期退職を断念。最後の1年、ごみと格闘しようと決意」したら、異動を命じられた。
18年12月、A知事官製談合事件で辞任。逮捕。
19年1月、H知事誕生。このお方が拍車をかけた。
19年3月、定年退職。再就職は断り、10JOYCの構想に取り掛かった。
19年7月。やむ無き事情で「MT銀行顧問」を引き受けたのも束の間、、。
20年4月。宮日がエコクリーン問題をスクープ。5月、外部調査委員会聴取。
21年1月。MT銀行に辞表提出。
21年2月。公社理事会は私たち5人を背任容疑で刑事告訴。3月警察受理。4~5月警察の取り調べ。
「楽しみを分かち合う」などとんでもない。「地獄の苦しみ、、。」
22年1月。宮崎地検は不起訴決定。8月公社は不服申し立て。10月検察審査会は不起訴相当の決定。
23年1月、K知事誕生。このお方、何をなされたのだろう、、?
それらの「ほとぼりが冷める」のを3年待った。「もういいだろう」。25年8月「10JOYCが産声を上げた」のですが、
26年1月。まさかのまさか!裁判所から訴訟告知。民事訴訟にも巻き込まれてしまいました。
「やっとスタートした10JOYC。ここで止めたら負けを認めたことになる。無実の罪は晴らす。公社と県を相手に三人で闘いを挑む」。それしか道はなかったのです。
仲間や美女に本当の事は話せず、会う時は”ニコニコ”。家ではパソコンと”にらみ合う”二重人格。10年、演じざるを得ませんでした。
民事裁判の終結は2年前。県が一連のエコクリーン問題を総括したのが昨年3月。
その事もあって、ブログを始めたのです。
下は昨年12月20日、畑の打ち上げを兼ねたエコクリーンの忘年会。美女たちに「知られざる過去」を明かし、胸のつかえがとれた、、。肩の荷が少し軽くなった一夜でした。
この10数年、私たちは仲間と美女の皆さんに救われました。心からお礼を申し上げます。ありがとうございました!
さて、10JOYC。いつまで続くか?
健康面を含めて、振り落とされず、生き残ることができるか?
これも、サバイバル。やってみましょう!
【12月の知事選。話も聞かず、私たちだけに”罪を被せた”お二人。生き残るのは、どっち?】
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