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A元総理国葬の意義。K首相は何故、国民に語り掛けられないのか?

(我が家の日日草。猛暑に負けず、元気に咲きほこっている。記事とは関係ありません。)

A元総理の国葬。9月27日、あと1か月に迫った。

Ifごときが論じるには「余りにも事が大きすぎる」と自制していた。

1昨日「国葬をやらないのはバカだ。」とN元自民党幹事長の暴言。報道で知った。

「真意は測りかねるが、国葬に反対する国民もバカ」と言われたのも同然。バカ呼ばわりされたら、バカな一人として黙っている訳にはまいらぬ。オーバーヒートに気を付けて書かせていただく。(>_<)

7月8日。参議院選挙遊説中、凶弾に倒れられたA元総理を悼む気持ち、良識ある日本人なら当然である。

しかし「政治家。死によって美化されるものではない。」との私見。7月20日、投稿した。

主旨は「政治は国の命運、国民の将来を決する重きこと。世の中は揺れ動くモノ。執政は為政者の意思に関わらず、功となり罪とも変わるモノ。死によって「功」だけが偶像化、尊崇され、「罪」の部分は消し去られるモノではない。その責任は永遠に背負わなければいけないモノ。」ということ。

A氏。総理を二度。最長期間、我が日本の舵取りを担われたお方。

そのご労苦、数々のご功績には敬意を表するが、その一方で、A一強体制が生み出した”負の遺産”もあった。

「その国葬」。事件直後、素早く決断されたK首相だが、理由なり根拠については、明快な説明はなく、臨時国会も僅か3日で切り上げられたことで、弔意と疑念が交錯し始めた。

その後、旧統一教会問題が勃発。その火消しに追われる政権と自民党。

最近の世論調査では支持率急落。「国民の半分以上は国葬に反対」とのこと。

国葬中止を求める裁判、知事参列は違法との住民監査請求も相次いでいる。

そんな中、昨日。M官房長官は「国民に対して、一律に弔意を求めるものではない。」とトーンダウン。

「???」「国民の顔色を窺い、分が悪いと思われたのか、、?」「何と弱腰な、、!」

「国葬に値し、ふさわしい」。そう政府が判断されたのであれば、K首相は、その理由をきちんと説明し、「強制はしないが賛同いただければ、讃辞と弔意を捧げ、ご冥福を祈ってください」くらいのこと。何故、国民に呼び掛けられないのだろうか、、?不思議でならない、、!

国葬の儀に参列される諸外国の要人の顔ぶれも決まり、公表され始めた。

参列者は6400人、費用は警備費を除き、2.5億円(全額国費)。予備費から支出と。

いずれにしても、今、K首相は「国葬の意義、根拠、国費支出の正当性」を「”自分の言葉”で、国民に語り掛ける時。遅きに失したが最後のチャンス。」とIfは思う。

そうされなければ、国葬をやることによって、「まとまるべき国民の心が、逆に、引き裂かれる結果(=K首相の”負の遺産”)になるのでは、、?」そのことが心配でならない、、!

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