MENU

ちょっといい話。M知事の思い出。

私の居場所に立つ「石井十次像」。

「偉人石井十次」と「M知事」にまつわる「私だけが知っているエピソード」がある。

M知事(1979~2003年)。最後はシーガイヤ、SNAなど批判はあったが、「長年に亘り宮崎の発展に尽力され、職員は元より、県民の信頼も厚かった」。

「この人は”情がある”」と思った。

児童家庭課で児童福祉を担当していた時。(33歳。まだ純で猛烈に仕事をしていた頃。)

当選されて間もない知事が「石井記念友愛社の子供たちの朝の様子(登校前)を見てみたい。」との要請が秘書を通じてあり、N課長と私、早朝現地で、到着を待っていた。

季節は冬。霜柱が立ち、男の子たち10数人が庭掃除で集めた落ち葉で焚火をしていた。

女の子は廊下の拭き掃除や台所の手伝い。「家事や畑仕事は子供たちの役目=親のいない子供たちが実社会に出て困らないように」と「”基本的な生活習慣”は施設で躾ける」というのが”十次の教え=厳しいようだが親心”。

黒塗りの車。玄関に止まり、課長と私が駆け寄るよりも早く、知事は自らドアを開け、

「やーお早う。ご苦労さん。」と軽く会釈。直ぐ、焚火をする子供たちへ歩み寄り、

「おはよー。おまんさ。寒みつん、元気よかなー」と子供たち一人一人と笑顔を交わし、優しく声を掛けられた。

まるで、「久し振りに孫と会ったじいちゃんの様な嬉しさと親しみ、、。」

それがごく自然に。「へー、この人が知事、、。いい人!」

「よしガンバロウ!」そんな気持ちがフツフツと湧きあがったこと、鮮明に覚えている。

「なんでも挑戦、みんなが参加」新ひむかづくり県民運動。「県と市町村は車の両輪。県政推進には連携が必要」と訴えられていた。それらの集大成が「90ひむかの祭典」。社会の分断が進む今、「時代が求めるテーマ」である。

宮崎空港拡張と宮崎港開設を同時に行うピッグプロジェクト。「漁場が荒らされる」と漁民は猛反対。知事自ら交渉の場に乗り込み、粘り強く説得に当たり、「港の浚渫土砂をベルトコンベアーで空港の外海に運び、埋め立て、工期もコストも大幅に短縮出来た痛快な話。」

教育にも熱心に取り組まれた。「子供は天からの授かりもの、しっかり育てお返しするのが私たち大人の役目」が持論。文部省の反対を押し切り、全国初の「五ヶ瀬中高一貫校」は画期的であった。

エコ社会実現=ごみ処理広域化構想。「エコクリーン」も功績の一つ。

90ひむかの祭典、ワールドカップ、シーガイア、SNA、そしてエコクリーンにも関わらせてもらった、、。

大変な仕事だったが、「逃げずに県政課題と真剣に向き合うM知事の姿勢。それを何とか支えようとする職員」。当時は、そんな連帯感があった。

それからA知事→H知事→K知事へ、、。

何か、宮崎が変わった、、。

「その連帯感」。県職員だけでなく、県民にも失われたような、、。

今、M知事の業績を語る人はいない、、。

【補足】

石井記念友愛社=「石井十次」の意思を引き継ぎ、孫の児島氏が終戦後の昭和20年8月設立。木城町。

M知事最後の秘書課長は、もっちゃん。最後まで見事に支えた。お疲れさん!

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次