天国におられる方にあれこれ言うと、罰が当たるかもしれないが、、。
母は明治生まれ、筋金入りのカタブツ。
連れ合いを早く亡くした父。後妻に入り、4人の子を授かったが、女ばかり。
戦前は教員。県庁の父と共稼ぎ、姉たちの世話は女中さんがしていたらしい。
戦争で暗転。公職追放された父。故郷(今の西都市)に帰り、不在地主で没収された田畑で細々と農業、
不足する家計は二人の僅かな恩給で何とか食いつないでいたと、何度も聞かされた。
40歳の時、5人目に待望の男の子。やっと出来た跡取り。
大きな期待や愛情が、厳しい躾けとなったのだろう、、。
近所の悪ガキと遊びたくても、宿題が先。遊びの最中でも、17時前には帰り、風呂焚きなどの日課、、。
子育ての苦労を経験した大人なら「厳しさは愛情の裏返し」と理解できても、子供の私には、とても無理。
「こんな窮屈な家、早く飛び出したい。」大学時代も、いつも考えていた。
ところが、「跡取りが親の面倒をみるのは当たり前。宮崎に帰れ。」との泣き脅しに根負け。
たまたま県庁に縁があった次第。採用の決め手は、ラグビー試合で受けたなま傷、、。
妻に巡り合えたのも、つまりは「母の導き、、。」
結婚間もなく、母の希望通り同居。以来、99歳で施設にお世話になるまで約30年、、。
75年の我が人生。その60年は、母との葛藤の日々だったような気がする、、。
102歳の平成22年1月11日。エコクリーンの不起訴が発表された数日後。
朝入浴、食事後に容体急変(心筋梗塞の診断)と連絡。妻と駆け付けた。
「かーちゃん、今まで、ありがとうね!」
「おかあさん、いろいろ、お世話になりましたね!」
二人、しっかり手を握り、耳元で叫んだ。
すると。「ありがとう」と手を合わせ、安らかにこの世を去った。
「葛藤が感謝に変わった」。涙がどっとあふれ出た。
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