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必殺※後始末人26 けじめ

トップの責任は重い!

その自覚がない方もおられるようだが、、。

トップの力量は「問題が起こった時の対応とケジメの付け方」で分かる。

運命のいたずら、、?

私を待っていたかのようなエコクリーン問題。

「安全・安心な施設運営に努めます」。

17年4月、着任挨拶。バタバタと14市町村を廻り、そう約束した。

地元の三地域協議会と公害防止協定の締結式。住民代表の方々に、そう宣誓した。

その直後、開業まで10日を切った5月末。

「浸出水調整池が破損しました。このままでは開業できません」。Kさんら四人が険しい表情で部屋に飛び込んで来た。

頭が真っ白になり、体がガタガタ震えた!

「ドンゲすれば、ごみ処理が出来るか?コンサルと協議してきない。」声を絞り出した。

「ごみ処理ができない。市民生活は大混乱。パニックは何としても防がなくては、、。」それしか考えられなかったこと。昨日のように覚えている。

その三日後?「補強工事をすれば、ごみ処理が出来ます。破損個所は修理可能。安全も確保できます。」との報告。

「やるしかねじゃろ。公表はできんじゃろ。」幹部に告げた。

「例え、前任者が原因を作ったとしても、私(副理事長=実質的トップ)は責任を取らなければならない。」と覚悟し、補強工事など取り組んだ。

火災や事故もあったが施設は稼働、台風災害ごみも処理の目途がついた17年末。「ケジメ(責任の取り方)をどうつけるか?」あれこれ考えた。

「18年3月、1年前に退職するのが一番いい」と決断。

K常務に伝えると「そこまでの責任はない。」強く慰留され、「抜本的な補強工事までやって辞めよう」と思い直した。

ところが、18年3月、「内水面振興センター(シラスウナギ密猟の取り締まり)へ行って下さい」とA知事。

「また1年で、、? 後はドンゲすっと?」さすがに心が折れた、、。

18年の1年間、「抜本的工事が気がかり」だったが、後任のN理事長からは何の連絡もなかった。

19年3月退職。「ケジメとして、再就職は断った。」

有り余る時間との闘い。公園と図書館が”居場所”となった。

19年5月ある日? MT銀行H専務から「顧問」の要請があった。

H専務には「ファンドの借り=恩」があり、むげには断れず、「県と協議して下さい。多分、県はダメと言う筈です」と返事。

当時の県総務部幹部は「エコクリーン問題は私たち17年役職員の責任ではない」との見解を確かめ、

19年7月。”恩返し”と思い、顧問を引き受けた。

ところがところが、20年4月エコクリーン問題勃発。

あろう事か?私たちに批判が集中。テレビや新聞で大騒ぎになった。

「銀行は信用第一。迷惑は掛けられない!」

21年1月。ケジメとして辞表提出。

MT銀行には「恩を仇で返す」結果となり、本当に申し訳なく、そんな自分が惨めだった。

21年3月。マサカの刑事告訴。

「あん時、辞めちょっていかった!」今でもそう思う。

「”男の値打ち”は、”金や名誉”じゃねー!」

昨今のドタバタに、ニンマリ、、。( ^)o(^ )

(明日、完)

【藤、満開!】

 

 

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