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必殺※後始末人24 福祉とは? 衝撃、決意、無念!かすかな光、、。

(里山の風景。のんびりして、いいですね!)

38年の県庁生活。福祉の仕事を10年経験できたのは、人生においても貴重だった。

「福祉とは何か?」

「施設は何のため?誰のため?にあるのか?」

「施設を利用できない障がい者はどうすればいいのか?」

「高齢化等の進行で社会保障費は膨れ上がる。一方少子化で税収は減る。将来の福祉はどうなるのか?」

その10年。利用者の方々の生活実態から、保護者の皆さんの声から、職員の皆さんの働きぶりから、いろいろな事を学ばせてもらった。

”その想い”をまとめてみた。

福祉現場は壮絶だった!

30年前、初めて見た時の衝撃は忘れない。

一つは特別養護老人ホーム。

車椅子に乗った高齢者が廊下にずらーっと並んでいた。

「あの人たち何しちょっと?」尋ねると「今、入浴待ちです」。

風呂場に案内されギョッとした。車椅子に乗ったまま”裸の体”を職員がタオルでこすり、もう一人がお湯で洗い、終わると別の職員が更衣室に連れて行き、着替えると、また別の職員が部屋に送るという流れ作業。

人権団体が”その光景”を見たら「人間は動物じゃない」と言われそうな、、。

職員の話を聴くと「60人の入所者を週2回入浴してもらうためには、20人ずつ3グループに分けても、ほぼ毎日入浴介助が必要になる。」

身体の不自由な高齢者をベッドから車椅子に移し、風呂場に運び、下着や衣服を脱がせ、体をこすり、洗い、拭き、衣服など着せ、部屋に帰り、ベッドに寝かせる。

「もっと、丁寧に、ゆっくり入浴してもらいたくても、職員は足らず、これが精一杯。心苦しいけど、どうしようもないのです。」と悲しそうな顔で訴えた。

もう一つ。知的障がいのある児童施設。

居室を案内された時。思わず立ちすくんだ。

ヘッドギアをつけた男の子が「頭を壁にガンガンぶつけていた。」

「どうしたの?なんもせんでいいと?」職員に尋ねると、

「一日に数回、パニックが起こり自傷行為が出るんです。今、止めると逆にエスカレートし、私たちも怪我をします。この前殴られたんです。青黒くなった右目を見せた。暫くすると落ち着きます。」

福祉現場は「これが日常」。職員たちは「このような利用者の支援に献身的に取り組んでいる。それが仕事。昼も夜も、、。1年、10年、退職まで、、。」

県の仕事も決して楽ではない。

が、、。「体や心に障害がある利用者を支える仕事とは”質も量”も、”肉体的にも精神的”にも、”過酷さ”は比べようもない!」

その上、給与など待遇面でも、他産業と比べて低く、社会的評価も高いとは言えない。

20年前、平成16年4月1日。二度目の社会福祉事業団(副理事長=実質的責任者)を命じられた。

退職まで残り3年。

「”商工では鬼”となったが、”福祉では仏”になろう!」

「”新たな福祉のスタイル”に職員と一緒に挑戦しよう」と決意。

「宮崎県社会福祉事業団改革5か年計画」の策定に着手。

目標は「自主自立=県の関与から離れる事」。

私のビジョン。各職場を廻り、直接職員に伝えた。

顔なじみの職員が幹部に成長、私の話に理解を示してくれた。

職員組合とも何度も交渉を重ねた。

「自主自立できるなら、私たちも血を流します」。”給与10%カット”を了承。

理事会の承認、県の承認、県議会も改革の主旨を高く評価してもらった。

民間企業とタイアップした福祉作業所。地域福祉への貢献。施設にカフェを併設するなど収益事業にも進出。etc

先進県を視察した職員たちは、活き活きとした表情で「自主自立の希望」を話してくれた。

「よし、やるぞ!」具体的構想を練っていた17年3月。

「今度は環境整備公社へ行って下さい。」A知事から異動宣告。

「ちょつと待って下さい!」と言えないのが宮仕えの悲しさ、、!

「改革ビジョン。職員との約束を果たせないまま転出」。

申し訳なく、流石に”無念”だった!

【あれから20年。不思議が重なって、かすかな光が、、。】

介護疲れによる自死、一人暮らし高齢者の孤独死、ヤングケアラーの悲鳴などなど。

そんな報道に接する度に胸が痛む、、。

福祉とは「利用者と保護者の為だけにあるのではなく、施設を利用できない人たち。➡ヤングケアラーなど介護に苦しんでいる人たち」にも、「幸せを届ける」ことだと私は思う!

バラマキではなく「真に苦しんでいる人に寄り添い支える。」

そんな日本、そんな宮崎になる事を願っている!

明日からエコクリーンの後始末。

【宮崎は震度3。それでもビクッとしましたね!】

 

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