キャンプの成功の裏には実行委員会や県民の皆様のご協力、そして「事務局職員の奮闘があった事」を忘れてはならない。
職員は急造、ズブの素人ばかり。次から次に業務は増え、最終的には28人に膨れ上がった。
県以外に警察、宮崎市、サッカー協会、ホテルからも出向。語学堪能な県民3人、ドイツ在住のS氏も加わった。
「キャンプでは何をすればいいのか?」誰も分からない。
「どんな組織にすればいいのか?」分からなかったが、取り敢えず、総務、警備・宿泊、広報、報道、催事班に編成。ドイツ担当とスウェーデン担当に分けスタート。
先ず「何をして欲しいのか?」を「ドイツとスウェーデンに直接確かめるのが先決」と判断。
両国とメールのやり取り。語学堪能な3人とS氏がキャンプ本番までの約半年続いた。
両国から100項目以上のリクエスト。それを県でやる事、サッカー協会がサポートする事(ボールボーイなど練習の補助)、ホテルでのサービス、その他(ジャージの洗濯、余暇のレンタサイクルなど)に分類。整理した資料がキャンプ前に出来た。
その資料をベースに、実行委員会関係者、ホテルの従業員まで具体的なサポート内容を周知し、大きな不安はなくキャンプ本番を迎える事ができた事が”キャンプが成功した大きな要因”だったと思う。
職員たちは、キャンプ準備そして本番となり、Wカップと言う超巨大な魔物に翻弄され、ミスが出たり、内部の意見対立も当然あった。
ホント綱渡り、ハラハラドキドキだったが、いずれも大騒ぎにはならず、何とか乗り越えられたのは”幸い”だった。
ご協力いただいた実行委員会の皆様、沢山の応援を頂いた県民の皆様。深く感謝申し上げます!ありがとうございました!
「職員の皆さん、本当に大変な9か月(2001~2002年)だったけど、今思い返せば、ドラマチックで楽しかったね! ご苦労様!ありがとうね!」
明日に続く。あとちょっと。がんばるぞ。( ^)o(^ )
【今のスポーツランド宮崎があるのは過去のノウハウの蓄積。プロの人材育成が大事!】
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