(ラジオ体操に集まる”元気なお年寄り”。)
終活、自分史、自己反省、プラス「未来を担う若者たちへのメッセージ」のつもりのブログ。
「物事の核心」に迫ろうとすると「知識不足」、「激動する世界、日本、宮崎」、「AIの進化で拡がる若者たちとの情報ツール、価値観のギャップ」などで「思考が阻まれ、混濁し、適切な言葉が見つからず、放置したままの”下書き”」が増えてきた。
「これじゃいかん。もう後がない。」( ^)o(^ )
読んでくれる人には申し訳ないが「試行錯誤、未整理のまま」の投稿をお許しいただきたい。
「福島原発処理水」放出開始。終わるまで30年。廃炉作業はそれから、見通しは立たないという。政府の決断、科学的知見、漁業者、意見百出。コメントは控える。
北朝鮮衛星打ち上げ失敗、ウクライナ問題、ブリックス会議etc。それらの報道一つ一つで世界が揺れ動く。
77歳になった私。
激変する世の中には、とても付いて行けないが、その中で”あと少し”生きていかなければならない。
「大人の責任」とは何か?
「大人の定義」は何なのか?
77歳は「大人ではなく”年寄り”か?」
仮に「年寄り」であったとしても、「今の世の中、この混沌(正論と異論が交錯して訳が分からなくなった現象)」に対して、「何か一言、言う責任がある」のではないのか?
「例え”異論”と他人から批判されても」、「それが生きている”証”」ではないのか?
「その責任。今、大人たちがを放棄したら」、「若者たちとの分断は更に拡がり」、「日本古来の伝統や文化(=日本人の魂)は失われてしまう」のではないのか?
【「SEI!SEI!SEI!~青!生!声!~」8月27日(日)12時~21時 歌舞伎町シネシティ広場 日本駆け込み寺主催。】
夜、宮崎駅周辺にたむろする若者たちの問題が新聞テレビで報道。そのヒントになるのでは、、。
【入所手続き面倒。義弟と妻、てんやわんや。】
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