墓移し。昨日、無事終わった。
朝。仏壇に手を合わせ「ご先祖様にお許し」を願った。
心配した天気、曇り。ご先祖様のご加護か、何とかもってくれた。
9時、隣のNさん(マンゴー農家)に挨拶を済ませ、墓掃除。10時(お坊さんの供養)まで30分あったので、辺りを歩いてみた。
「我がふるさと、、。」
地上はのどかだが、空には戦闘機。丁度日米共同訓練。爆音が絶えない、、。
実家の跡は美容室に。(冒頭写真)
墓地の周辺。豊かな田園地帯だが、ここも高齢化の波が押し寄せている、、。
子供の頃、蒸気機関車が走っていた妻線。今、サイクリングロード。
昔とすっかり様変わりした。
10時、お坊さんの供養。幸運にもこの時間、爆音は静かだった。
ご先祖様へ。「私の代で西都との縁を絶つこと。宮崎で永代供養となること。」謹んで報告した。
30歳そこそこの決断。
仕事が猛烈に忙しくなり、長男も生まれたばかりだった。毎晩深夜帰宅、早朝出勤。西都~宮崎の通勤、車で約1時間。仕事。子育て。親との同居。村付き合い(周りは全部農家)。それをずっと続ける体力・気力。俺たち夫婦には無理だと思った。
わが身と家族を守るには、”故郷を捨てる道”しかなかった、、。
墓だけは残し、40数年、夫婦で守った、、。のだが、、。
「ご先祖様は何と思われているか?」知る由もない、、。
13時(宮崎霊園永代供養塔に納骨)まで時間があり、花屋へ。
妻も心の整理がついたようだ、、。
これで、心配の種が一つ消えた、、。
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