(農道にて。記事とは関係ありません。)
38年の県庁生活。福祉の仕事に携わった約10年は非常に貴重で、「人生の糧=生き方の指針」となった。
福祉現場は”凄絶”だった。
利用者(様々な障がいを抱える人)の厳しい施設生活の実態。
障害を抱えた我が子の将来を案ずる保護者。
困難な業務の対価としては低い給与など職員処遇。
実社会の福祉に対する理解不足。
社会保障費の増大など将来の課題、etc。
見る事。聴く事。全て初めて。
つまり「何も知らない=足りない事ばっかり」だった。
所管は延岡、門川、高鍋、新富、宮崎、国富、都城にある県立12施設の管理運営。
利用者は約1000人。介護が必要な高齢者、障がいを抱えた子供と成人、虐待など育児放棄された児童、聴覚障がい者など多様。
その方たちを約400人の職員が日夜、献身的に支援。
「福祉のイロハも知らない私が、こんなに多くの利用者や職員のために何が出来るのだろう?」
大きな不安に襲われたが、「先ず現場を見て、利用者や職員の実態を知る」ことだと思った。
I課長と一緒に、現場(居室、作業所の他、調理室、洗濯場、入浴介助など)を見て回り、職員に声を掛け、話を聴くことから始めた。
「利用者は常に不安と動揺の中で生活していること。」
「職員たちは、利用者の不安と動揺を少しでも和らげようと献身的にサポートしているが、人手が足りず、全てを支える事は不可能で、いつも危険と隣り合わせで仕事をしていること。」
「保護者も高齢化が進み、自分が亡き後、我が子の将来に不安を抱えながら過ごしていること。」
見る度に、聴く度に、「弱者に対して冷たい社会の現実」に胸が痛み、「己の無力さ」を悔しく思った。
職員たちの働きぶりには感銘を受けた。
しかし、「”次のこと”は言わないといけない」と思った。
「貴方たちが利用者や保護者のために、一生懸命働いているのはよく分かった。」
「でも、この施設に入りたくても入れない人たちがいることは忘れないでもらいたい。」
「県立施設であるならば、そういう人たちの為に、何か出来る事はないのか?も、みんなで考えてほしい。」
「足らざるを知る」と「足らざるを伝える」ことも出来る。
これは「福祉の現場」が教えてくれたこと。
コメント