エコクリーン事件は何故起こったのか?
当事者の一人が「真実(核心部分)」を明らかにする。
諸事情が複雑に絡み合い、書き起こすのは超難解だが、原因、ポイント、要点と経過をまとめてみた。
大事な記述は重複しているので、予め断っておく。
これは「四人の知事が直接間接に関与し、公の機関(県と公社)が起こした、宮崎県政史上最悪の事件」である。
県と公社は真実(核心部分)を明らかにせず、従って県民は知らない。
この様な理不尽。二度と起こしてはならない!
● あらすじ
エコクリーンは宮崎市大瀬町にある巨大ごみ処理施設である。
県が関与し、宮崎市を含む県央、児湯の14市町村(現在10市町村)の家庭ごみの広域処理を行っている。
平成7年構想、12・13年設計、14~16年建設工事、17年5月開業直前に浸出水調整池が破損、17年公社(私たち)は補強工事を行い開業。ごみ処理を開始した。
20年大問題となり、21年公社は私たちを刑事告訴(背任)、26年民事訴訟にも巻き込まれた。
● エコクリーン問題が起こった根本原因は次の三つ
1 「人間の本質=自分の責任を他者に転嫁する負の側面」が組織的に連鎖した。
2 公社と県の関係者に「安全・安心対策の意識が欠落」していた。
3 20年公社と県が「当事者である私たち(17年役職員)の話を聴かなかった」。
● ごみとごみ処理施設
1 ごみは人間が存在する限り出る。
2 ごみ処理施設は絶対必要な社会的インフラである。
3 しかし、その建設に当たっては住民が猛反対する”迷惑施設”でもある。
4 ごみ処理施設は公害発生の危険がある。
5 建設に当たっては、地域住民の健康を守るため「安全・安心の確保が最も大事」である。
6 それを担保するため、公社は「地元住民と公害防止協定を締結」している。
● エコクリーン問題が起こった三つの謎。
1 「浸出水調整池(管理型処分場から染み出ある”汚染水”の溜枡)」は、エコクリーンで最も危険な施設である。その建設に当たって公社は「最大限の安全対策」を講じる必要があった。しかし、12・13年公社は、その基礎に補強杭を打たずに設計、14年公社は工事着手した。
写真は管理型処分場(焼却灰の埋め立て地)。この地下に巨大な溜枡が設置されている。
2 17年公社は補強工事を行いエコクリーンを開業した。21年公社は、その理由や経緯について、「当事者(17年役職員)の話も聴かず」に、刑事告訴を強行した。
3 「安全対策を怠る設計をし、破損の原因を作った12年・13年公社」、並びに「破損の事実を隠し、抜本的補強工事に取り組まなかった18年・19年公社」は責任追及されなかった。
● ポイント
1 エコクリーン問題が起こった原因は、12年・13年公社が「ごみ処理施設は危険であるとの認識が欠落し」、「十分な安全対策を講じていなかった」ことに尽きる。
2 エコクリーン問題が起こり、対応が混迷、事件に発展した要因は次の二つである。
(1) 知事が次々替わり、県政が混乱。「安心安全を守るガバナンス機能」が欠落していた。
① M知事 構想~設計~工事着工
② 15年8月A知事 建設工事の途中~完成~進出水調整池破損
*衝撃の人事を含め、副理事長が3人も入れ替わった。
③ 19年1月H知事 エコクリーン問題勃発~第三者委員会~県も告発表明~公社の刑事告訴支持
*19年4月T理事長就任。事件に発展。
④ 23年1月K知事 副知事時代、公社の刑事告訴を支持~公社の民事訴訟を支持~私たちが訴えた「エコクリーンの真実」を無視
(2) 知事交替に伴い、環境整備公社副理事長も次から次に入れ替わり、公社のガバナンス機能が低下した。特に、建設から開業・稼働に移行する大事な時期の交替が致命的だった。
① I副理事長 15年8月(A知事衝撃の人事)~17年3月 建設工事、完成
② 私 17年4月~18年3月 浸出水調整池破損、補強工事、開業
③ N理事長 18年4月~19年3月 抜本的対策は取り組まず転出。
④ T理事長 19年4月~ 21年事件にすり替えられた。
3 「20年県と公社が、私たち(平成17年役職員)の話を聴いてくれれば、エコクリーン問題は事件にはならず、民事訴訟も起きなかった」
4 「破損の原因(下記)を作った12・13年役職員は咎められず、補強工事を行い開業、ごみ処理のパニックを防いだ17年役職員だけが”背任の罪”を負わされた事」。
5 17年時点で、破損の事実や補強工事を行う事については、「県にも報告」した。しかし「県関係者はその事実を隠し続け、20年の第三者委員会も不問にした。従って議員もマスコミも県民もその事実を知らない。」
6 22年公社は、民事訴訟を起こす前に、「当事者である私たちの意見を聴き、訴訟の是非を判断すべきだった。」
7 「民事訴訟に疑義を唱えた弁護士の意見書」が送付されたにも拘わらず、22年公社は訴訟提起し、県は公社を支持した。
8 26年以降、私たちは「エコクリーン問題の疑問点を”エコクリーンの真実”として纏め」、「”私たちの話を聴いてください”と、知事や県議会など関係者に訴えたが無視された。」
下記は「”本”の目次」。
9 県と公社の総括。「上記事実を最後まで明らかにしなかった」。
10 従って、県民は上記事実を知らない。
● 要点と経過。
1 ごみ処理施設建設の立地条件
① 大規模な施設に耐える強固な地盤であること。
② 健康被害防止のため、人家から離れた場所であること。
2 エコクリーン問題が起こった根本的原因➡浸出水調整池(管理型処分場から染み出る汚染水の溜枡)が破損したこと。
3 上記の原因
① 建設場所の地盤が軟弱(元は沢。ほとんど盛り土)だったこと。
② 当然、基礎杭で補強すべきだったが、12年・13年公社は何故か?基礎杭を打たない設計を採用した。
4 17年2月、水張り試験で進出水調整池が一部沈下。コンサルは想定内と判断。県にも報告。
5 17年5年、開業直前に調整池一部破損。県にも報告。
6 17年役職員(私、Kさん、Iさんなど)は緊急補強工事を実施。開業。ごみ処理を開始。この件も県に報告。
7 開業の理由➡ごみ処理が出来ない事による市民生活の大混乱(パニック)を防ぐためだった。
8 上記5,6,7は公表すべき重大事項とは分かっていたが「公表すればエコクリーンは閉鎖。パニックが起こるため公表できなかった。」
9 その後、エコクリーンは稼働。平成17年9月の台風災害ごみも1年かけて処理。
10 20年、宮日がスクープ。大問題に発展。
11 20年、第三者委員会設置➡事情聴取➡報告書
12 21年、報告書を根拠に私たち(17年役職員5人)だけが”背任罪”で刑事告訴➡警察・検察の取り調べ➡不起訴➡22年、検察審査会へ不服申し立て➡不起訴相当の決定。
13 26年民事裁判に巻き込まれ、31年やっと終結。
14 私たちは県と宮崎市から公社に派遣された職員であるが、終結しても、私たちに対して、「公社と県の謝罪は一切ない」。
15 上記の事実は、県民(地元住民)に明らかにされていない。
【後始末をせんまま異動させられ、話も聴かんで、後任から”背任”にされたら、タマランよ!】
先日、エコクリーンに行って見た。
焼却施設は改修工事中。末長く、ごみ処理が続くことを願った。
広場。20年前は約1000人の工事関係者の現場事務所が並び、公社の事務所もあった場所。
グランドゴルフ大会。大勢の高齢者が楽しんでいた。
のどかな光景を眺めながら、「私たちの役目は果たした、、。」と思った。
【最後に】
「17年の補強工事に多額の資金協力を頂いたにも拘わらず」、22年公社から「民事訴訟を提起されたコンサルタント会社、建設工事会社の皆様、誠に申し訳ありませんでした!心からお詫び申し上げます!」
Kさん、Iさん、そしてNさん。ホントに大変じゃったね! ご苦労様でした!
明日に続く。
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