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もっちゃん⑧ これも涙の「お宝」

「コロナ禍の引き出しの整理」で出てきた前回の少年時代の宝箱(石器等)。

もう一つ、古い封筒があった。表には4年前に94歳で亡くなった母の字。

「三人分大学送金領収書」。これまた、すっかり失念していた。

私と妹二人の入学・卒年が記載されている。

昭和47年M雄(私)大学入学、同48年K子(妹)大学入学。

同50年M雄卒業・就職、同51年K子卒業・就職。

同年S子(末妹)大学入学、同54年S子卒業・就職。

封筒の中、現金書留郵便(現在は振り込みで全く見なくなったが、、、)

控えの束〆て121枚(3人分)。

思えば、30年くらい前、お盆か正月、実家での宴会の席で。

つい口をすべらした私の一言。

「大学時代は日本育英会の特別奨学金とアルバイト代にお世話になった」云々。

その時、母は涙を流したに違いない。翌日、私に件の封筒を黙って渡した。

昭和50年、私が県庁へ就職した前後に公務員だった父は退職。

財産も特になく、薄給で3人を大学に出してくれた。

専業主婦で家計のやりくりをすべて任されていた母。

唯一できた算段が近所の呉服店の着物和裁。

先程の現金書留の控え。

3人の誰に送ったかは分からないが、およそ120回にわたり総額300万円。

一月2~4回、1回当たり1万円~3万円、時に4万円、5万円。

帰省旅費か12月に10万円も。少ない時は刻んで5千円、7千円もある。

和服1着の手間代、おそらく5千円程度だったろうに、涙が出る。

この時の和裁の無理が祟ったのか、末妹が卒業・就職して数年後。

両眼の突発性緑内障を発症も、幸い都城の宮田眼科で手術。

事なきを得たのは幸いだった。母に感謝しかない。

【親孝行したい時に、親は無し、、、。よう書きました。ご両親、天国で喜ばれていますよ。】

【昨日の雨、すごかったですね。被害に遭われた方、心からお見舞い申し上げます!】

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