家族、書けば本になる。凝縮し、さらにカットした。
凝縮し、カットしたモノがマグマのように膨れ上がる、、、。
妻とは見合い結婚。高千穂を去った秋、28歳、妻24歳の時。
諸事情から、32歳で大塚台に家を建て、母と同居(父は棟上げを見届け他界)。
いつも深夜帰宅(残業の無い時は麻雀)の夫を支え、子育てを一人で頑張り、母の世話で苦労を掛け、あの辛い日々もじっと耐えてくれた妻。
ミニバレーでアキレス腱を切り入院した以外、寝込んだことがない。
仕事人間とは言い訳、良い夫ではなかったし、いい父親でもなかったが、これが私。精一杯だった。
11月で47周年。崩壊の危機を何度も乗り越え、今まで持ちこたえたのも”子あればこそ”、、、。
二人の息子は県外(長男は大分県、次男は石川県)に家を構え、三人の孫(長男、女の子二人=小学5年と3年、次男、男の子=小学1年)にも恵まれた。
もう1年以上会ってないが、時々、写真や電話で元気な様子を確認、「コロナ禍で、”家族に平穏な日常があるのが一番の幸せ”だよね」と妻と話している。
今、私たちの願いは二つ。『子と孫の平穏』と『ピンピンコロリ』。
今がある事に感謝し、健康に気を付け、楽しい時間を沢山作りたいと思う!
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