8日。飲み会の朝になった。
K市長に「10JOYCはエコクリーンが原点です。あの事件で、皆、私たちから逃げましたが、仲間は最後まで応援してくれました。その仲間たちの集まりです」と伝える。
「それしかない」と決心した。
エコクリーン。それは「公の理不尽」そのものだった。
平成17年5月末。開業直前。汚染水を溜める浸出水調整池が破損。緊急補強工事をし、ごみ受け入れを決断。平成21年3月、公社は私たちの話も聴かずに、刑事告訴。22年1月不起訴となったのだが、同年8月、公社は検察審査会へ不服申し立てまでした。
「公社から要請され」、「宮崎県職員・宮崎市職員の身分で公社に派遣された者」が、「その公社から刑事告訴され、検察審査会に不服申し立て」までされる。恐らく、宮崎県政史上初めての事案。私たちは「汚名を着せられたまま、永遠に名を遺す」ことになる。
これにはさすがに、堪忍袋の緒が切れた。
「黙っていたら、子や孫も汚名を被る」ことになる。
私たち3人は、「浸出水調整池破損の経緯。公表できず、緊急補強工事を行った事実と理由」について文書にまとめ、最後に「私たちの話を聴いて下さい」とし、直ちに「公社」、「県」、「宮崎市等14市町村」、「県議会と14市町村議会」に送付した。
その時、Kさんは県議会議員。その文書を読まれ「県環境森林部幹部に、三人の話を聴くようにと話をしておきました。」と電話を頂き、「感激。勇気が湧いた」ことがあった。
県幹部は、「それでも聴いてはくれなかった」のだが、、。
K市長とは「そんな経緯」があるので、「事の次第を話せば、分かってもらえる」と思ったのだ。
そう決心して、次の仕掛けに取り掛かった。
「K市長挨拶へのお礼。Iさんにしてもらおう」。
Iさんも「胸のツカエがとれるだろうし、奥様も喜ばれるだろう」と思った。
「あのね、今夜の飲み会にね、K市長が来られご挨拶をされることになったつよ。会にみえた時に、10JOYCの原点はエコクリーンですと俺が説明する。どんな挨拶をされるか分からんけど、お礼の言葉を言ってくれんね。貴方は宮崎市から派遣されたんだから、宮崎市長にお礼を言うのはおかしくないし、県議の時の経緯もあるからね。」と電話。
Iさんは「ちょっと緊張しますがやってみます」と了承。
「よし、これで10JOYCの成り立ちがゲストの皆さんにも伝わる。仲間と美女への感謝も間接的に伝えられる。10年目にふさわしい会になる。」
席の配置。あれこれ悩んだ末、Y会長、A議員、H氏の三グループに分け、仲間と美女を上手く振り分けた。
13時、Oさんの味噌、酒(山形の初孫)、配布するペーパーなどを「みや本」に持ち込み、机の配置を一部変更してもらった。
これで、開会の準備は整った。後は本番、流れに乗るだけだ、、。
明日に続く。
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