(凧あげに興じる親子。この子らの未来が平穏でありますように!)
あれから30年も経ったのか、、。
阪神淡路大震災。記憶に強烈に残っている事がある。
一つ。それは、初めて福祉現場で仕事した時だった。
出勤直後に見たテレビ。燃え広がる神戸市街に息を飲んだ。
二つ。キャプテンTさん、復興に尽力した裏話。
その当時、神戸港を仕切るG海運社長(キャプテンTさんの商船大学の友人)から頼まれ、大量の鉄板(液状化で軟弱になった埠頭の補強)とバイク数十台(車は通れないため)をTさんが緊急輸送し、港の復興(高速道や一般道は寸断。救援物資や生活必需品は海上輸送が大きな役割)を手助けした事。
三つ。宮崎カーフェリーが神戸港と繋がった時。
その第一便にTさんと乗船。G海運を訪問、上記の話を社長から直接聴き、復興の裏に二人の友情があった事を知り深く感激した。その後、社長室の窓から「あそこがバスが転落しかかった高速道路橋です」と教えられた事。
今、「南海トラフ地震」が現実味を帯びてきた。
「福祉現場の悲痛な声」も聞こえてくる。
何とも「不思議な因縁、、。」
人生は筋書きのないドラマ、、。
このブログ、これから何が起こるのだろう、、?
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