植物。与えられた場所で、ひたすら”生”をつなぐ。
人間。その欲、、。
「欲のない人生なんて、面白くも何ともない」とは言うものの、、。
あれを手に入れたら、これも、それも、欲しくなる、、。
権力を手に入れた人ほど、際限なく拡がり、逃れられないようだ、、。
自国の独裁では足らず、他国まで手を伸ばすロシア、中国の指導者、、。
そんな指導者に逆らうことを恐れ、配下にすりより、おこぼれにあずかろうとする者たち、、。
一方、権力も何もないIf。偉そうなことを投稿してるが、ちっちゃな欲にも惑う。
10JOYCのモットーは「楽しみを分かち合う」こと。
「あれがいい。これが楽しい。」と思うことを、「独り占めしないで、仲間と、分かち合い、一緒に楽しもう」という、ある意味「おのれの欲との闘い、、?」
「このIfが、、。おーなんと、大それたことを、、。」
数年前、ある美女から「10JOYCって、どんな会ですか?」不意に尋ねられ、説明に困り、「咄嗟に、サバイバルかな、、?」と応えたことがある。
「参加する、しないは自由。興味がなければ、やめる。そんなフリーな集まり」。それをダイレクトに言うのもどうか?と思い、「サバイバル。ドキリとする言葉」が浮かんだのだが、、。
今。まさかのコロナ、まさかのウクライナ。より深刻で鮮明になった「不信と分断」。それらを乗り越え、10年、、。
「楽しみを分かち合う=人と温もりを共有する」こと。
「今、社会が失いつつある」大切なこと。
「何気なく発したサバイバルの言葉」。ズシリと自分に降りかかる。
この10年。健康上、その他で、一人、また一人、脱落、、。
8日の集合写真を見て、ちょっと不安になった、、。
「これ、ホントのサバイバルなのかも、、?」
「果たしてIfは、健康を保ち、欲に惑わされず、生き残れるだろうか、、?」
「家族、社会が平穏であるのか、、? アクシデントもある、、。」
「そもそも、仲間や美女たちがいなくなったら、オワり、、。」
そんなことを思うと「仲間たちの輪に加わり、笑顔で写っているIf=この10年を乗り越え、生き残った証」がいとおしくなった、、!
If? 10JOYCが無かったら、俺は「人生のサバイバルに敗れ」、「今頃、この世に存在していないかも、、?」
「”生”ある限り、この仲間たちと楽しみたい。生き残りたい、、。」
そんな気持ちに襲われたのだ、、。
【今日、高齢者講習、認知機能検査など。最近不具合が顕著。ちょっと不安(>_<)】
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